一生懸命に取り組んでいたら
知らないうちに結果が後から付いてきた
 
 
LL日進駅前教室 水野克哉
 
 
 誰でも良い結果が出れば嬉しく思います。私も例外ではありません。物事を進めるにあたって、「良い結果が出ればいいな」と心の底で思うのは事実です。小&中&高生の皆さんもそう思うのは当然だと思います。その気持ちが心の奥底にあることにより、より努力をすることが出来るのかもしれません。
 
 しかし、結果を考えすぎることについては、大きな疑問を感じます。世間で、「結果オーライ(all right)」と言われることがあります。「良い結果さえ上げていれば、それを得るための過程は重要ではない」ということです。本当にそうなのでしょうか? 結果を上げるためにその過程を無視した方法を用いて「良い結果を上げている」という例が、もしも小&中&高生の世界にあったとしたら、それは問題です。
 
 例えば英検です。「合格すればもうけもの」という声を聞くことがあります。「合格さえすれば、その過程や内容はどうでもよい」ということです。それで良いのでしょうか? 確かに、英検は入試などで優遇措置を取られることがあります。しかし、本当の実力もないのに、「運良く」合格したとしても、長い目で見ればそれが本当に役に立っているのかというと、必ずしも分かりません。むしろ、合格したことにより「油断の心」が生じて、その後に悪い影響が出てくるように思います。幸い当教室では、英検に合格しても、その実力を確実にするために、同じ級に再度チャレンジする皆さんもいるので、非常に嬉しく思います。
 
 「結果が出ればもうけもの」という考え方があまりにも強すぎると、結果が出た途端に目的が達成されてしまうので、その後の努力を辞めてしまう場合があります。例えば、高校入試が終わり、高校生になった途端に、全く勉強をしなくなってしまう生徒が大勢います。高校入試は、ゴールではなく、新たなスタート地点に立っただけです。もちろん、大学入試もゴールではありません。
 
 なお、残念ながら好ましい結果が出ないこともあります。それでは、それまでの過程は無駄で意味のないことなのでしょうか? 私は、ベストを尽くした上での結果であれば、その過程は無駄にはなっていないと思います。あきらめないでチャレンジを続ければ、いつか結果が付いてくる可能性はあります。また、もしも最後まで結果が出なくても、その努力をした経験はきっと様々な部分で生かされくると思います。
 
「一生懸命に取り組んでいたら、知らないうちに結果が後から付いてきた」
 
 私は、常にこれを心がけるように努力をしています。「結果を上げるためには、手段を選ばない」のではなく、「手段は非常に大切」です。過程を無視して結果を得ようとは思いません。これからも、このことを心に留めて、指導に当たっていきたいと思っています。